長崎軍艦島

長崎軍艦島とは

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長崎の沖に位置する端島(通称・軍艦島)が35年ぶりに上陸が解禁された。

新聞やテレビでも一躍有名となった、「軍艦島」をまとめてみた。

 

■長崎軍艦島とは

通称「軍艦島」は、1921年当時、三菱重工業長崎造船所で建造中だった日本海軍の戦艦「土佐」に似ていたことから「軍艦島」と呼ばれるようになった。正式名称は「端島(はしま)」と呼ばれる長崎県長崎市にある島である。また、端島(はしま)は、長崎県以外にも山口県岩国市にも同名のものがある。

 

「軍艦島」の地理的な位置は、長崎市の長崎港から南西の海上、約19キロメートルにある。「軍艦島」は、元々は小さな瀬であり、現在の約3分の1程度の面積しかなかったものをの、周囲を埋め立てることによって南北に細長く島にした。周囲は、護岸堤防で覆われていて外周や約1200メートルで、面積は約63000平方メートルの大きさである。

 

「軍艦島」では、良質の石炭(強粘炭)の存在が確認されると、日本のエネルギー事情を支える炭鉱の1つに数えられるようなった。最盛期には約41万トンもの石炭を摂り、島の人口は5,267人となり、世界一の人口密度となった。病院(端島病院)や学校(町立端島小中学校)、寺院(泉福寺)、神社(端島神社)、派出所や映画館や理髪店などが建設されていて、島の施設だけで何不自由のない完全な都市を形成していた。但し、火葬場と墓地だけはなかった。

 

しかし、主要エネルギーであった石炭はエネルギー革命で、石油へとシフトすることとなり衰退していった。一度盛り上がりを見せたものの、1974年1月15日に閉山することとなった。この年の4月20日に全ての住民が島から離れ、軍艦島は無人島となった。

 

 

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軍艦島ツアー

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長崎市は約1億円の建設費をかけて観光客が上陸できる桟橋の整備と島南東部約220メートルの見学通路を建設した。今まで軍艦島のことは映像や写真でしか知ることが出来なかったが、島の内部を直接みることができるツアーが出来上がった。

 

JALツアーズは、「池島で炭鉱坑内体験と軍艦島に上陸の旅2日間」(5月23日出発)を2月末に発売した。しかし、定員20人のツアーは1週間ほどで満席となり、追加募集もしたがほぼ完売状態となっている。

 

また、近畿日本ツーリストは、経済産業省が認定した「近代化産業遺産」を訪問する学習型ツアーの第1弾として、軍艦島上陸ツアー(4月24〜26日出発)を3月27日に発売した。現在、建築や写真の専門家がガイドとして同行するツアーも企画中。

 

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